ロザムンド・パイクと三つの死体

映画は映画を観た人の数だけ存在する、つまり、観た人それぞれの解釈や感想の数だけ映画は在るという考え方。よく使われる言い回しですが、しかし、この考え方は明らかに間違っています。何故なら映画は一つしかないからです。例外があるとすれば昔流行ったダブルエンディングの映画や「ディレクターズカット」の類の複数の編集版が存在する映画、これらは確かに同タイトルでありながら複数存在する映画と言えるのかも知れません。

何れにしても、例えばマーティンスコセッシが1976年にアメリカで撮った『タクシードライバー』という114分の映画は誰がいつどこで観てどんな感想を持とうが一つしかなくて、もし複数あるとすれば、それは単にその映画を観た人が複数いるというだけ、つまり、映画を観た人の数だけ映画が在るではなく、映画を観た人の数だけその映画を観た人がいる、それだけの話なのです。

この道理に従えば、有象無象の映画評の類がテイの良い「自分語り」に過ぎないと気が付くわけで、往々にして語り手の存在を含めた「映画の外」にあるものがひたすらに語られているだけ、監督の思想も俳優のフィルモグラフィーも、そしてあくまでもそれを観た者が言語として再構築した「物語」ですらその114分の明滅する光線の運動と連鎖には何の関係もないのです。実際にそこに在ったもの、114分という時間のうちに目撃された何かのみを論じること、それが唯一つしかない「映画」を語ることなのです。

この前置きはこれから書くいくつかの映画に関する文章を眺めた人が「で?」「だから?」「つまり?」とならないための予防線です。「そんなこと書いていて愉しいの?」と思う方には「愉しくて仕方がありません」とやはり予防線を張っておきましょう。

さて、ここではロザムンド・パイクが出演した3本の映画について書きます。

①2002年『007 ダイ・アナザー・デイ』(リー・タマホリ)
②2018年『プライベート・ウォー』(マシュー・ハイネマン)
③2019年『エンテベ空港の7日間』(ジョセ・パジャーリャ)

この3本に共通するのはいずれもロザムンド・パイクが出演していてそれぞれが最後には物語的に死に至るということです。興味深く感じるのはそこに在るべき「死体」です。

端的に言うと①は死体が何故か消滅していて②は死体は映るがうつ伏せの状態で状況的にロザムンド・パイクの死体と認識できる状態③は仰向けでしっかりと顔も映った死体、こんな感じです。

①はエンタメ色が強かったピアーズ・ブロズナン版007シリーズの最終作、②は実在の女性戦場カメラマンを扱った伝記映画、③は実際に起こった事件に基づいたドキュメンタリー風の映画、言うなれば「現実を模倣すべきという要請」が③②①の順に高いということです。

①は単なる娯楽映画、フィルムを見返すことができないので当時の記憶を頼りに書くとプライベートジェットの中で格闘した挙句にジェームズ・ボンドに機内で殺害されるのですが、その後別の敵と闘うボンドがその場所に戻ってきても床に転がっているはずのロザムンド・パイクの死体は何故かどこにも見当たらないという、誰かが機外に投棄したわけではもちろんありません。ここでは敢えて「殺害」と書きましたがそもそも物語的映画的にはそのようなイメージではなくあくまでもボンドが敵の一人を「倒した」というイメージ、障害物を排除したとでも換言すればそこに死体が転がっている必要性もなくてその本来転がっているべき死体をゾンビ討伐ゲームか何かのようにスクリーンから消滅させてしまっても別に問題ないのです。

②はドキュメンタリー風ではあっても英雄視される一人の女性の「伝説」を描いた映画、脚色も当然あるでしょうし、むしろフィクションとしても愉しめる映画という印象です。そもそも彼女は殺されたというよりは戦火に巻き込まれて命を落としたわけで、その死が彼女が持っていたのであろう「使命感の代償」であるとするならばそこは単に史実に倣えば良いだけでその死を克明に描写する必要もない、彼女が払い続けてきた代償こそがここに於ける主要な「物語」なわけですから。

③もやはりドキュメンタリー風、確かに、映画会社からの要請なのか、少しだけメロドラマ風の、ロザムンド・パイク演じる女テロリストへの感情移入を誘うような演出もありましたが、基本的には客観的な描写に徹するスタンス、最終的に射殺されることになる彼女に同情の涙を流す人はそんなに多くはないはずです。血を流す仰向けの死体を切り取るショットは文字通りその「死」をのみ捉えています。

フィクションに回収される死、表象としての「死」にその映画に企図された現実との距離感が何となくわかります。即物的な死体の描写は物語をより現実的に演出してみせると。ただ、映画が現実を模倣する必要など少しもありませんから、死体が手品のように霧散していようが別に大した問題でもないという発想こそが肝要、どんなに現実的な演出を凝らしてみたところで、スクリーンに投影された映像の連鎖がフィクションであることに変わりはなく、それらはすべて等価なのですから。

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