招かざる客、あるいは異星人との対話

或る脅迫事件を巡る家宅捜索でホストクラブに乗り込む防護服姿の警官隊、敢えてそれを撮らせる警察側、ファイダー越しに反権威主義的な視座を捏造してみる報道側、それぞれの思惑はさておくとしてもなかなかインパクトのある映像でした。

個人的にその映像に想起したのは80年頃のスピルバーグ映画、『未知との遭遇』や『E.T.』には防護服姿の集団が「悪役」としてスクリーンに捉えられています。それらの映画で防護服姿で登場するのは何れも政府関係者、放射能や未知のウィルスを撒き散らしているのかも知れない異星人とコンタクトするわけですから至極当然の対応、比較的最近の映画だと異星人と友好的に接しようとする『メッセージ』のエイミーアダムスもやはり防護服に身を包んでいました。

では、スピルバーグ映画ではなぜ防護服姿の政府役人が「悪役」と認識されてしまうのか、それは『未知との遭遇』のリチャードドレフェスをはじめとした異星人と「相思相愛」の関係を持つ一部人類が基本的に生身のまま異星人とコンタクトを取っているから、無知がその理由とはいえそこには警戒心の欠片もありません。その当時のスピルバーグ映画に於ける無垢とか純真さへの過度な信頼が鼻持ちならないのはさておくとしても、今回の防護服姿の家宅捜索に不快感を覚える人が多いという事実は、40年後の現在でも市井のその感覚に大差はないということなのかも知れません。

さて、今回のコロナ禍を機に「夜の街」という奇妙な言い回しが一般化しました。諸説様々だと思いますが、個人的には暗黙の了解として「棲み分け」が黙認されていた二つの世界が新型コロナ感染症対策を機に或る一方が同じ世界の住人としての態度を求めざるを得ない状況となったにも関わらず相変わらず異質であり続けるもう一方の世界を「夜の街」として区別した、そのような意識が根底にある言葉だと思っています。別の世界として多少のイレギュラーは黙認してきたもののコロナ禍はそれを許さない、等しくレギュラーな態度を求めないととても収束は見込めない、当たり前の話ですね。国や自治体による補償の類に差別が生じる根本もここに、感染対策では同等に扱っても補償では旧来通り「別の世界の住人」としての扱いをやめない、誰しもが覚える違和感と矛盾の正体です。

ともあれ、防護服姿の警官隊にスピルバーク映画のような権威者の悪意を想起するなら、我々を含めた「夜の街」の住人とはまさに異星人であり、我々が害悪を撒き散らす存在であるからこその防護服であると。防護服に身を固めて渋々異星人とコンタクトを取る政府役人、コロナ禍が呼び込んだ「招かざる客」とはまさに我々のことなのです。

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