身も蓋もない話、あるいは厨二に至る病

これから「本指名」に付いて書くのですが、結論から先に言えば「身も蓋もない話」です。

あと、丁度昨日当店のNo.1女性と本指名の話をする機会があって、彼女が言うには「大事なのは気遣い」だと。なるほどなと感心したのですが、気遣いをするにはその前提として「気付く」ことが必要なわけで、つまり、相手が求めていることを勘良く察することに長けていないと気遣いも中途半端になるというか、場合によっては「余計なお世話」にもなりかねないのだろうなと。何事につけマニュアル通りの対応だけでは精々60点ということですね。

さて、風俗店のブログで本指名を語ってみる私は会社勤めの経験はありません。実はその類の仕事に就きたいと思ったこともなればなろうと試みたこともありません。あ、もちろん風俗店員を目指していたわけでもありません。

目指していたのは諸々の芸術系、大学には殆ど顔を出さずにバンドをやったり小説を書いたり、高校生の途中までは音大を目指していたりもしました。で、何一つも成すことがなかった結果このように風俗店でブログを書くに至るわけですが、それを何一つも恥じていないし悔いてもいないのは、その「諦めのプロセス」が悪くなかったからではないかと思っています。

私がそのような浮ついた生活から潔く身を引くことができたのは「本当に才能のある人たち」をたくさん見てしまったから。多分私はとても恵まれていたのだと思います。高校生の時は間違いなく「井の中の蛙」だったのですが、大学生になったら周囲には「あーとても敵わないな」と感服せざるを得ないような人たちがゴロゴロと。ミロスフォアマンの映画でのサリエリと同じ状態です。

私に優れているところが一つあったとすれば、それは才能のある人の才能を見抜く能力に長けていたこと、それがなかったら己の程度を知るのにもっと時間を要したと思いますし、そのあたりもやはりあの映画のサリエリと同じなのかもしれません。

あらゆる美しいもの、心地よいものを生み出すのはのは努力ではなく才能であると私は信じて疑いません。努力それ自体が美しいとさえ思わないので実は努力もあまりしません。才能の至る先を目指すか、そうでなければ己の才能の程度にあったことに妥協するか、そのどちらかです。

別に泥臭いことが嫌いなわけでもないのですが、そこで得た結果をあまり嬉しいとは思いません。努力などせずとも同じ結果に至るであろう人たちを傍観者の一人としてただひたすらに崇拝することの方がよほど意味があるのではないかと。そもそも努力を重ねてまで私がそれに成る必要などどこにもないわけですし。

この業界に入ってもう10年ぐらい、男性女性を問わず本当に才能のある人たちを何人か知っています。他の場合と同様で何よりも崇拝しています。特に私と競合することの決してない素晴らしい女性たちは。

彼女らが創出する世界とそこに付随する複雑で且つ心地よい感情はあらゆる文化芸術と同等かそれ以上だと思っています。カタチのないものに金銭的対価を生み出すそれは芸術家の営為と同じです。私の気まぐれな鼻歌には何の価値がなくても例えばワグナーの美しい無限旋律には価値があります。いずれもただの「空気の振動」に過ぎないにも関わらず、です。

この仕事でもそうなのですが、よくよく考えてみると私は誰かに「頑張れ」と声をかけたことなど一度もないのかも知れません(自重気味に「もっと頑張ります」と口にすることはありますが笑)。何にしても人に努力を強いることを虚しいとしか思っていない人間なのですからそれも当然、自分がこの仕事に向いていないと思う理由の一つでもあります。

書けば書くほどお店の名前を冠したブログに書く内容ではないなと今さらのように思い至るのですが、だからと言って建前と綺麗事を並べても意味もないしな、と。ただ、比較的正直なことを書いていますが決して「正しいこと」を書いているつもりはありません。

とどのつまりが、私はここで崇拝すべき「素晴らしい才能」との出会いをひたすらに待っているだけなのかもしれないと思うに至ります。

で、これでもうこの文章を締めてしまおうと目論んでいるのですが、当初の予定とは少し違ってしまいましたが「身も蓋もない話」であることに変わりはないのでまあこれで良いかな、と。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

 銀座セレブ公式サイト
 https://ginza-celeb.com/
 女性求人サイト
 https://ginza-celeb.com/recruit/
 公式Twitter
 https://twitter.com/ginzaceleb/
 公式LINE@登録
 https://lin.ee/yFD2U9V

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=